それでも人生は続いていく
トリックスター「県庁さん」
さて、満天堂の暗黙の了解ごとを次々破って引っ掻き回し、教育係の二宮あき(柴崎コウ)をキレさせた野村聡(織田裕二)でしたが、最終的には彼の貢献によ り、スーパー満天堂は窮地から救われます。ギリシア神話のプロメテウスは神から火を盗みこれを人間に与えましたが、野村が作成して満天堂に提供したマニュ アルが消防法対策だったのは偶然……ですね。たぶん。
しかし、ちょっと待ってください。
確かに満天堂は閉店の危機を免れたけれども、二宮の立場はこれまで通り。パート待遇でこき使われる日々に戻るだけで、実は何にも変わっていません。
よく考えてみると「実は何も解決していない」!
研修を終え県庁に帰っていった野村のほうも、改革はそう易々とは進まないだろう、と薄々勘付いている。
映画は「小さなことからでも改革していこうよ」という、そんな将来を予感させるシーンで幕を閉じます(是非映画をご覧ください)。しかし、よくよく考えるとあの「小さな改革」も、利権べったりの当事者とその周辺の人間らにとっては、はっきり言って痛くも痒くもない内容です。
では一番痛みを伴うのは誰か?と考えてみれば、おそらくそれは若い職員たちであろう、と思われるのです。
つまるところあのシーンは、今日の日本に求められる「改革」が、既得権益の保持者が大きな犠牲を払うこともなく、なんだかんだいいながらも結局若年世代の
犠牲の上に進んでいくことを暗示しているかのように思われてなりません。この映画の結末になんとなくハッピーエンドとは言い切れない雰囲気が残る原因は、そこにあるように感じます。
忍び寄る『恋はハッケヨイ!』の恐怖
この映画を見終えて私が思い出すのは、イギリス映画『恋はハッケヨイ!(Secret Society)』(2000)のエンディングです。
『恋
はハッケヨイ!』は「失業中の夫を抱えて町の缶詰工場で働く主人公が、工場内の秘密結社で女相撲の修行をする」という相当ワケがわからない映画で、内容的
にはもちろん『県庁の星』とは似ても似つかないのですが、両者に共通するのが「ハッピーエンドのようで実は何も解決していない」エンディングなのです。
イギリスは、1997年に登場したブレア政権による経済改革や、ユーロ高による輸出の好調を受けて経済が復調し、2004年の失業率は2.6%と、失業率
の増大に苦しむフランス(10.0%)やドイツ(10.5%)に比べれば、好調を持続していると言えます。ですが、階級社会の硬直性や貧富の差の拡大につ
いては解消される気配がありません。映画にある程度の説得力(?)を持たせようとすると、どうしてもその閉塞感が表れてしまうということなのでしょう。日
本の将来も、そんな諦めの雰囲気で覆われてしまうのでしょうか?
求む『県庁の星』
ただ『県庁の星』の中では、ひとつ大切な変化があります。それは「出会うはずのなかった二人が出会った」こと。少なくとも野村には、二宮をエリート
ならではの手際であの閉塞感からさっと救い出す、そんな「彼女だけのヒーロー」になれる力があるし、「気づくのがいつも遅い」二宮だって、そのことに気が
ついていたはず、です。
映画は常に、その時代の世相を強く反映してきました。誰だってのんびり生きていたいと思うけれど、社会の歪みを背負っていくことを宿命付けられた世代の行く末。この映画には、それが垣間見えます。
「それでも、失ってはいけないものがある。将来への希望。それを持ち続けよう。そして森だとか海だとか、あんなふうに皆を、大切な人を守ってやれるような、そんな人間になろう。」
と、お思いのそこのあなた。
あなたも『県庁の星』を目指してみませんか?

