[村上ファンド事件] 村上ファンド事件に潜む不正の実態

アドバイザー:倉井 泰将 / 税理士・ファイナンシャルプランナー

 

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村上ファンド、ライブドアに出会うまでの軌跡

「モノ言う株主」への道

今回も村上ファンド事件の背景を追っていきます。
村上ファンドは設立後、豊富な資金力を背景に、次々と敵対的買収を続けていきます。そして、「モノ言う株主」として知名度を上げていったのです。

最初大きく話題になったのは、2000年の「昭栄」に行った敵対的買収です。「昭栄」は元々繊維会社でしたが、伝統ある会社で、戦前・戦後の時代から広大な土地を多数保有していました。ただ、繊維会社ということで、その保有する土地の多くは不動産的な観点からは有効活用されておらず、未利用のものもあり、そこに村上ファンドは目をつけたのでした。現在では、村上ファンドの提案を受け入れた形で、昭栄は繊維会社から不動産会社に転身。業績は急拡大し、現在の株価は2000年の買収時より約7倍ほど値上がりしています。
さらにその後、大きく話題になったのは2002年の「東京スタイル委任状争奪戦」です。株主総会で村上ファンドの提案が可決されるかどうか、ギリギリのところまで東京スタイルとの争いを続けた村上ファンド。結果的にこれも、東京スタイル側が株主への配当を増やすなど、株主重視の姿勢を示すことになったのでした。

ニッポン放送を狙うその本来の目的

ここまではとても順調に見えていた村上ファンドですが、村上世彰容疑者は、ファンド設立当初から考えていた大きな投資先があったのです。それはラジオの「ニッポン放送」でした。村上容疑者は、ラジオ放送局が欲しかったのか?いや、そうではないのです。1996年に東証二部上場を果たしたニッポン放送は、当時まだ株式を公開していなかったフジテレビジョンの発行済株式総数の51%を保有する、筆頭株主だったのです。つまり、フジテレビはニッポン放送の子会社。あれ、逆じゃないの・・・って思われる方も多いと思いますが、そこに目をつけたのが村上容疑者だったのです。

村上容疑者は、ニッポン放送が株式を公開した時期には、通産省のサービス産業課に所属し、「映像産業活性化研究会」を作って、メディア産業界を詳しく知る立場にありました。そのため、フジサンケイグループの資本のねじれ関係(ニッポン放送はフジテレビの親会社という関係)に一早く気づき、官僚の時代から「ニッポン放送の株を押さえれば、テレビ局が転がり込んでくる」と、周囲に語っていたそうです。
村上容疑者は1999年に通産省を退官し、村上ファンドを設立。実際に2001年には、村上容疑者個人名義で、ニッポン放送の株主になっています。

村上ファンドは2002年頃からニッポン放送株を買い集め、2003年7月にはニッポン放送の発行済株式総数の7.37%を握る第2位株主になりました。そこで村上容疑者はニッポン放送の経営陣と面会を繰り返し、「自社株買いをしろ」とか、「フジサンケイグループの持ち株会社を作れ」などと要求を繰り返します。今考えるとこの要求は、「自社株買いをして、村上ファンドが保有する株式を高く買い取れ」、「持ち株会社を作って、ファンドの株を高く買い取れ」という、単なるファンドが保有する株を高い値段で売り抜けるのが目的だったのではないでしょうか?ところがニッポン放送側は、これらの要求を拒否したのです。

さらにフジサンケイグループは翌年1月、村上ファンドへの対抗策として、大規模な資金調達策を発表しました。建前上は、フジテレビとニッポン放送の共同スタジオの建設でしたが、その目的は明らかに村上ファンドを牽制したものでした。その中身は、フジテレビは新株発行で1000億円を調達、またニッポン放送は、保有するフジテレビ株を売却して、資金を捻出するというものです。そんなことをされたら、ニッポン放送の株の価値は下がる。なぜなら、ニッポン放送の株を集めた村上ファンドの本来の目的は、ニッポン放送の株集めを通じて、フジテレビを獲得すること。その大事なフジテレビの株をニッポン放送が手放してしまったら・・・。

戦う村上ファンド代表とその協力者の登場

村上ファンドはその資金調達策に激怒、その後さらにニッポン放送の株を買い集め、2004年3月には19.5%の筆頭株主となったのです。
そして、2004年6月28日、筆頭株主となった村上ファンド代表、村上世彰容疑者は、ニッポン放送の株主総会に出席、フジテレビとニッポン放送の資本関係見直しを執拗に迫りました。しかし当時、ニッポン放送の社長だった亀淵氏は、村上容疑者の発言を完全に無視して株主総会を進行。結局村上ファンドの提案は、その株主総会では全く受け入れられなかったのです。

その後も村上ファンドは、ニッポン放送の大株主として、会社側との対決姿勢を強めていくのですが、水面下ではニッポン放送株取得の協力者を探していたのです。
単独では、たとえ資金力が豊富な村上ファンドといえども限界があり、また、これ以上株を買い集めても、リスクが大きいと考えたのでしょう。そして、その協力者として浮上してきたのが、ライブドア代表のホリエモンだったのです。

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