神様もノーベル賞もみんなやってる「志賀と川端」
前回,芥川の執筆に向かう態度を彫心鏤骨と評したが,それに負けなかったのが志賀直哉であろう。
小説の神様,とまで評された志賀のまだ若い頃の作品を読んで,もっと若かった芥川が師の漱石に,どうやったら志賀さんのような文章がかけるのだろうか,と問うたというエピソードが残っている。
志賀は書き直す度に原稿の枚数が減ったという,まさに彫心鏤骨,したがって短編小説しか書けなかった――というとウソになる。
唯一,長編小説がある。それが『暗夜行路』である。
『暗夜行路』は,大正11年1月,雑誌「改造」に前編の連載が開始され,断続的に連載が続いてその完結を見たのは昭和12年4月のことで,その間実に足かけ17年間に及んでいる。
これだけ丁寧に書き進めば「ん?」などはなさそうであるが,実はある。
研究者・評論家などによって指摘され,志賀自身が回答している「ん?」もあるが,どうにも気になって仕方ないのは,作中の時間設定がかなりいい加減であるということである。
主人公・時任謙作の述懐として「十年程前,一人旅で日本海を船で通つた時」云々などという記述が出てくるが,作中の謙作はこの時22歳という設定であるから,「十年程前」は11歳か12歳ほど。それが日本海の一人船旅に出るものか。作中にはこういう箇所が幾つもあって,その度にけ蹴つまず躓いたような気持にさせられ,せっかくの名作が台無しに感じられる。
ノーベル文学賞受賞者で押しも押されもせぬ文豪・川端康成の作品にも「ん?」は多い。
そのひとつ,代表作『雪国』のヒロイン・駒子はナゾに包まれている。
なにしろ,出生地も年齢も定かではないのだ。「女はやはり生れはこの雪国」とあって,そのつもりでいると,全集本のわずか3ページ先では駒子に「私の生れは港なの」と語らせている。
さすが,名作のヒロイン,ナゾが多いほど美しさを増すという女性の究極の姿なのかもしれない。

