[青少年問題] 親子相互理解に向けて

アドバイザー:赤木 孝之  / 日本近代文学研究者

 

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子育ては「肌 → 手 → 目 → 心」

子ども達が荒れている。
縁もゆかりもない店に入っては憂さ晴らしに店主を殺すかと思えば,母親と弟妹を殺して自宅に火を掛けるというような事件まで起こす。こういう事件があると,識者と呼ばれる人達の多くは声高に「社会が悪い」という。もし,そうならば世の中高生達はみんな殺人犯・放火犯になっているはずである。「社会が悪い」論者は,同じ社会制度・体制の中で少年Aは殺人を犯し少年Bはそうではなかった,という現象に目を向けようとしない。つまり,特殊なAだけを見て論じ,その本当の責任の所在を追求しようとしない。

では,本当の責任の所在はどこにあるのか。はっきり言うと,責任の大半はその親にある。あとは本人の責任であり,ほんのわずか,学校・教師にも責任があろう。
子育ての極意にふれたものとして「乳児は肌を離さずに,幼児は手を離さずに,少年は目を離さずに,青年は心を離さずに」という言葉がある。
井戸端会議中に幼児の手を離したために車にはねられた,あるいは,パチンコに夢中になって車中の幼児が熱中症で死んだ――こうした事例は,まさに親が幼児の手さえ離していなければ防げた事件である。
であるならば,青少年についても同様に,親が目と心を離しさえしなければ防ぐことができた事件は多いはずだ。親の責任が大半,というのはこういうことである。

もっとも,この時期,親の方にも戸惑いがないわけではないだろう。つまり,だいたい中学生くらいの頃にいわゆる第2反抗期が訪れて我が子が豹変することが多くなり,どのように対応してよいのかわからなくなる。だが,豹変する当の本人も,自分がなぜ物事が腹立たしく感じられているのか,よくはわかっていない。だからこそ,よけいに腹立たしくなって親を含めたすべてに当たり散らしたくなる。こうした時期だからこそ,なおさらに,目を離さず,ということが大切なのである。

「守る」の語源は「マ(目)モ(守)ル」であるといわれる。それにさらに「目」の意を加えた「見守る」という言葉もある。目を離さず,ということは,守る,見守る,ということである。ただし,それは傍観ということと決して同義ではないことは銘記すべきである。

以後,折に触れて,筆者の高校教師体験,あるいは,子ども達に接する教師を育てる教員養成課程の教師体験を通じて得た,特に中高生あたりのいわゆる青少年期の特質と,そうであるが故の親の在り方の一端といったことについて述べてみたい。

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