[時事問題【国際】] 国際時事問題考察

アドバイザー:大野 純一 / LEC専任講師

 

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緊迫するレバノン情勢について〜現状とその背景〜

レバノン情勢が依然として混沌としています。 

そこで,現状を確認するとともに,紛争の背景とレバノンという国を簡単に整理しておきましょう。

まず,現状の確認です。

レバノンの位置はご存知でしょうか?
日本の岐阜県程度の大きさで,イスラエルの北に位置し,東側と北側はシリアに囲まれる形で接し,西側は地中海に面している国です。エジプトから見て北東,トルコの南側に位置しています。
そのレバノンで今回紛争が発生したわけですが,発端はレバノン領内に勢力を持つ,イスラム教シーア派系の武装勢力「ヒズボラ」が,7月中旬にイスラエル領内に侵入して兵士2名を拉致したことに始まります。
これに対し,イスラエルはレバノン領内に空爆を行うという形で対応しました。
当初空爆はヒズボラが支配するレバノン南部地域を中心にしていましたが,ヒズボラもまたロケット砲を中心に予想外の抵抗をすることなどから戦闘規模が拡大し,空爆はレバノン全土に及び,レバノン国民の4人に1人が家を追われたばかりでなく,空爆で発電所の石油貯蔵タンクが破壊され,重油流出による環境破壊も生じてしまいました。
イスラエル側でもヒズボラの攻撃により死傷者が予想以上に増えています。

戦闘が本格化してから1カ月を経た8月中旬になって,ようやく国連の安全保障理事会が,「敵対行為の停止」を求める決議を採択しました。
ここまで解決が長引いた背景には,今回の紛争が国家対国家ではなく,国家(イスラエル)対武装組織(ヒズボラ)という側面を持っていたため対応しにくかったことが挙げられます。
1982年に結成されたヒズボラは,貧困層への福祉ネットワークを構築して支持を集め,テロ組織に近い武装勢力として国際的には非難されつつも,レバノンの国会に議席を持っています。
ヒズボラは,反ヨーロッパ,反アメリカ,反イスラエルの傾向が特に強い組織として知られており,当然のことながら,イランや他のイスラム諸国とのつながりも深く,特にイランとの関係は親密だといわれています。
現在イランは核問題を抱えており,これに石油資源の動向を絡めた関係各国の利害関係に阻まれて国連の対応が遅れてしまったといえるでしょう。
具体的には,ヨーロッパ諸国やアラブ諸国は即時停戦を求めましたが,アメリカとイスラエルは一時的な停戦ではなくヒズボラの無力化をあくまで要求しました。
ヒズボラはイランと特に関係が深く,このままただ停戦を実現するだけでは,イランの影響力を温存することとなり,中東問題ばかりかイランの核問題の解決などにも悪影響を及ぼすとの判断がその根底にありました。
このようなヨーロッパ諸国とアメリカのヒズボラに対する立場の違いは,そのままイランに対する立場の違いとなって現れてきていますが,このような関係各国の足並みの乱れに国連が振り回されたあげく,停戦決議が発効したということになるわけです。
今後は,すでに駐留している国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の兵力が大幅に増強され,治安復興に当たることになります。
なかなかすぐには解決に向かいにくいでしょうが,ともかくも解決の方向に事態が向かいつつあることは歓迎すべきことでしょう。

と,ここまでお読みになって,今回の紛争は結局のところ,中東のどこにでもあるような地域でゲリラのような組織とイスラエルが小競り合いを繰り返している,という風に感じられた方が多いのではないでしょうか。
特にちょっと前までのレバノンをご存じない若い方の多くはそう感じられたことでしょう。
そのような感想は完全に外れているわけではないのですが,そのように捉えてしまうと,レバノンという国の本来の姿があいまいになってしまいますし,レバノンが辿ってきた歴史が忘れ去られてしまうことになります。

実はレバノンは,1960年代後半までは,「中東のどこにでもあるような地域」などではなく,中東における貿易・金融・観光・交通の中心地だったのです。

キリスト教が盛んな地としても知られ,首都ベイルートは「中東のパリ」と形容された高級リゾート地でした。

街には高級ホテルが立ち並び,世界中から多くの人々が保養に訪れることでも知られていたのです。

現在似たような国をあえて挙げるとすれば,国家形態こそまったく異なりますが,F1で有名なモナコのようなイメージといえばお分かりになるでしょうか。

そのような国が長期に及ぶ内戦の末,往時の面影は見出せないほど荒れ果ててしまいました。

この経緯を見ていくことは,国際社会において,特に近隣の紛争に対してその国が対応を誤るとどういう結果に至るかということに対する参考事例といえますし,民族や宗教を巡る争いに対して判断を誤るとどうなるかを知るための参考事例ともいえるでしょう。

現在の日本が抱える外交上の問題にも共通する部分はかなりあるはずですので,そのあたりもあわせて考えながら,以下の記述をお読みください。

レバノンは,気候的にも他の中東諸国とはかなり異なった性格を持っています。
内陸の山岳地帯と西側の地中海沿岸では気候が異なるものの,日本と同じような四季がそれぞれの地域に存在し,中東地域では唯一砂漠のない国でもあります。
地中海地域は冬も温暖で,山岳地帯では冬にはスキーも楽しめますし,レバノン国旗にデザインされているレバノン杉の森(世界遺産)も有名です。
そもそも,レバノンという国名は,現地の古語で「白」を意味しています。冬には山々が雪に覆われ,夏には石灰岩の山肌が白く光る姿がこの国を象徴しているわけです。

どうでしょう?
多くの皆さんが抱いていたであろう,中東の砂漠ばかりの国の1つ,という印象とは大分異なっていませんか?

宗教的にはキリスト教徒の割合が多い地域ということはすでにお話しました。
もっとも,中東地域ですからイスラム教も盛んで,レバノンは,キリスト教徒を中心にして,イスラム教の諸宗派が共存する形で成り立っていました。
宗教・宗派は異なりますが,それぞれの宗派は,国内において住み分けを行っている状態で,特に軋轢が生じることもなく,平和裏に共存していました。

ところが,1970年代以降,PLO(パレスチナ解放機構)の台頭により,PLO武装勢力も含んだ大量のパレスチナ難民がレバノン国内に流入してきたことで状況が一変します。
当時のレバノン政府は,PLOを刺激したくないことから,国内に入り込んできたPLO武装勢力によるイスラエル攻撃を黙認してしまいます。
当然,イスラエルは反撃に出ましたが,もともと経済通商活動を主体として国を運営してきたレバノンは,軍事力が豊かとはいえず,国軍ではイスラエル軍に対抗することができません。
その結果,イスラム教系住民にとってはレバノン政府とは,自分たちを守れずイスラエルの侵入に抵抗できない軟弱な政府としてイメージされることとなってしまいました。
一方,キリスト教系住民にとっても,レバノン政府は勝手に侵入してきたPLO勢力を駆逐できないばかりか,イスラエルの侵入に対して何も手を打てない軟弱な政府ということとなり,結局,双方から疎まれ,国民の信頼を一気に失ってしまいました。
さらに悪いことに,イスラム教系住民・キリスト教系住民の双方にも反発する感情が芽生え,結果としてそれぞれの勢力は対立,内戦状態へと突入してしまったのです。
1975年のことでした。
高級なリゾートホテルが立ち並ぶベイルート港に,戦車や軍用車両が荷上げられ,各宗派の武装勢力は,かつての高級ホテルを要塞化して互いの陣地とし,相手側に攻撃を繰り返し,かつての中東の中心街は灰燼に帰していくこととなりました。
イメージとしては,F1モナコ・グランプリのコースを戦車や軍用車両が走り,沿線に立つ高級ホテルやマンションを陣地としてそれぞれの勢力が砲撃を繰り返している状態であったといえばわかりやすいかもしれません。
「ホテル戦争」という言葉で表現されたこともありました。

その後,関係する国々を巻き込んでレバノン情勢は混沌の度合いをさらに深め,内戦は15年以上にわたって続きます。
ようやく1990年,キリスト教徒・イスラム教徒両派の民兵組織指導者が閣僚に就任した挙国一致内閣が成立し,内戦は一応の終結を見ますが,この時点で南部地域はイスラエルによる実効支配が続いていました。
イスラエルの占領はさらに10年以上続き,撤退が完了したのは2000年になってからです。
イスラエル撤退後,荒れ果てたレバノン南部に拠点を置き,侵攻の犠牲者を福祉ネットワークで救済しながら,イスラエルへの抵抗を絶え間なく行っているのが今回の紛争の当事者となっているヒズボラというわけです。
ヒズボラは,内戦終了後も領土の一部を占領し続けたイスラエルに対し果敢に抵抗した勢力ということもあって,レバノン国民の一部にとっては支持すべき勢力であるわけです。

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