[青少年問題] 親子相互理解に向けて

アドバイザー:赤木 孝之  / 日本近代文学研究者

 

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想像力は愛を生む

太宰治がある人に宛てた手紙の中で,「優しいという漢字は,ニンベンに憂いと書く。他人の悩み,苦しみ,つらさが判ることが<優しさ>だ」という意味のことを書いている。

私が今ここで謂わんとする<想像力>とは,まさに,このことなのである。

傍にいるある人の状況を<想像>すること,そこに<優しさ>が生まれてくる。何か苦しそうだ,どこかつらそうだ,と想い,それ故に何かしら手を差し延べてあげよう,という思いである。

昨今の若者にかけているのは,こういう段階以前の<想い>である。つまり,自分が他人にどれほどの<憂い>を与えているか,という<想像力>さえもないのである。生きていることそのものが迷惑なのだ,とある哲人がいったほどの厳しさを求めるのではない。ただ,ごく当たり前のことにさえ想いが及ばないのである。たとえば,電車の中でのヘッドホンの音漏れなどは,その典型であろう。「自分が音楽が好きで聴いているんだから何の文句がある」という態度である。その音漏れによって,周囲の者がどれほど不快で迷惑を被っているかということには想いを致そうとはしない。それでいて,いっぱしの音楽通のような陶酔に浸った顔で聴いている。それは音楽を愛する者の顔ではない。音楽を聴く,音楽を愛する,という感性にあふれた精神作用を活動させている者の顔ではない。

車中の化粧,あるいは,バカップルといわれる男女の抱擁やキスに至っては,「誰にも迷惑をかけていない」と開き直りさえする。果たしてそうか。どれほどの人が眉を顰めているか観察してみればよい。あるいは,周囲の人達の心中を推し量ってみればよい。

だが,それができないのだ。なぜか? そういう教育を受けて来ていないからだ。たとえば,車中で化粧している女性のうちの何割が,子どもの頃から「人に後ろ指を指されることのないように」と言われてきただろうか? そういう教育を受けてきていれば,面と向かって指弾されなくとも,こういうことをすることは恥ずかしいことだ,してはいけないことだ,とおのずと気づくはずである。つまり,それが<想像力>というものである。こうした<想像力>を失った人間の表情は醜い。逆に,照れながらでも勇気をふるって老人に席を譲った車中の高校生の表情の,なんと清々しいことか。それは,「今,自分の前に立っている老人は足腰が痛くて,座れば楽になるのだろう」などという<想像力>の所産である。<想像力>は愛を生むのである。

子どもに,「あなたの周囲には他人がいる。その他人を困らせたり苦しめたり,逆に,他人から困らされたり苦しめられたりすることなく生きて行こう」と教えよう。くれぐれも「他人から」以降だけを強調してはならない。その際の根本が<想像力>の育成である。もちろん,すべての学習の根本ともなる。同時に,<想像力>は<生きる>ということの根本でもあるのだ。もう一度いう――想像力は愛を生む……と。

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