"ぶらつき"と"抱きつき"
近代作家の筆名(ペンネーム)について語ってみたい。とはいえ,著名作家の筆名については「筆名事典」のような本もあるし,文芸雑誌などでもしばしば特集されているので,その由来がよく知られている作家も少なくないであろう。これまた,ご承知置きの人物に関しては釈迦に説法,ごめんなさいと先に謝っておくしかない……。
ひと昔前,文学部,殊に国文学科(現今の日本文学科よりもポピュラーな呼称だった)を志望したりすると,父親や訳知り顔の親戚の年寄りなどに,非生産的な学問をやって何になるという意味合いを込めて「・・・・ぶらつきや・・・・抱きつきの研究なんぞ」などと言われたものである。「ぶらつき」とは,宛字で「逍遙き」と書き,つまりは坪内逍遙を揶揄した言い様である。
「抱きつき」とは「抱月」,つまり島村抱月のことである。シェークスピアの紹介者であり写実主義の導入者であった逍遙も,名優にして愛人の松井須磨子と共に文芸座を興して西洋近代劇の紹介に努めた抱月も,親戚の年寄りにかかってはかたなしである。もっとも逍遙は読んでいた「漢書」の中に「逍遙游」という言葉をみつけ,それが英語のrambler(ぶらぶら歩く人)という意味であることから気に入って筆名としたのであるから,「逍遙き(ぶらつき)」でも遠からずということになる。抱月は蘇軾(そしょく)「(前)赤壁賦(せきへきのふ)」中の「抱明月而長終(明月を抱いて長しえに終えんことを)」からとっている。
新文学の旗手たる逍遙に刺激を受けてその門を叩いた長谷川辰之助が,父親に文士になることを告げたところ「くたばってしめえ」と罵られ,その言葉をもじって二葉亭四迷なる筆名としたことはあまりにも有名である。
明治作家の筆名は風情のあるものが多く,雅号的である。そのせいか,明治作家は筆名で呼ぶのが通例である。大正期では姓で,昭和期ではフルネームで呼ぶことが多くなる。

