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賢治の見た風

宮沢賢治の詩、というと真っ先に思い浮かべるものは何ですか?

「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」といった童話はともかく、詩はちゃんと読んだことがないなぁ、という人でも「雨ニモマケズ」の名前は知っているでしょう。実はこの有名な作品、手帳に書きとめられていた「賢治のモノローグ」のようなものなのです。きちんと出版された詩ではありません(個人的には、「春と修羅」に所収された一連の作品、たとえば、「永訣の朝」「無声慟哭」といった傑作の数々のほうがよほど作品の完成度は高いのではないかと思うのですが、でも有名なのはこれですね)。

「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏の暑サニモマケズ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシズカニワラッテヰル/一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ/野原ノ松ノ林ノ蔭ノ/小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ/東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイイトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒ[デ]リノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」(※ヒ[デ]リとしたのは、「日照り」か「日取り」かで、意見が分かれるからです)

どうでしょうか? まるで国境なき医師団か、はたまたボランティアの弁護士か、といった人物像ですね。でも、これを読んで何かおかしな点に気がついた人はいませんか? 私も最初に読んだときに思いました。

そう、この詩、最後までずっと「主語」がないんです。この作品は実にすらすらと読めてしまうのですが、それはこの「主語不在」のせいでもあるんですね。「主語」が書かれるところで、人は無意識のうちに「息継ぎ」をしますが、同時に思考も「一休み」します。でも、その隙がない。最終二行でようやくサウイフモノニ/ワタシハナリタイと、「ワタシ」が出てきますが、それまではこの「雨ニモマケナイ」人物とはずっと架空、ヴァーチャルな像なのです。ずっと一気に架空の理想像を主語無しで描いているからこそ、現実の賢治のあり方とのギャップが浮かび上がるともいえるでしょう。では、こんな「丈夫ナカラダ」を求めていた賢治は、実際にはどんな人だったのか? 病弱だったのは有名ですね。この「雨ニモマケズ」を書いたのは1931年、でもその直前、28年から約2年間は過労から肺炎を併発して療養、ようやく回復してきたころに書いたのが、この作品だったのです。しかも亡くなるのはそのたった2年後、またしても肺炎を起こしました。享年37歳です。死の直前に書き留めた「疾中」詩篇は、どれも本当に悲痛なものです。

「これで二時間/咽喉からの血はとまらない」([夜]より)
「眠らう眠らうとあせりながら/つめたい汗と熱のまゝ/時計は四時をさしてゐる」([眠らう眠らうとあせりながら]より)
「まなこをひらけば四月の風が/瑠璃のそらから崩れて来るし/もみぢは嫩いうすいあかい芽を窓いっぱいにひろげてゐる/ゆふべからの血はまだとまらず/みんなはわたくしをみつめてゐる」([まなこをひらけば四月の風が]より)
苦しい苦しい、病苦の様子が伝わってくる詩篇ばかりです。でも、そのなかで「わたくしといふのはいつたい何だ」([そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう])と問うてみたりするのですが、同時に死に向かう自分と、生成し行く自然とが不思議と美しく調和していきます。
「だめでせう/とまりませんな/がぶがぶ湧いてゐるですからな/ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから/そこらは青くしんしんとして/どうも間もなく死にさうです/けれどもなんとなんといゝ風でせう/もう清明が近いので/あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに/きれいな風が来るですな/もみぢの嫩芽と毛のやうな花に/秋草のやうな波をたて/焼痕のある藺草のむしろも青いです/あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが/黒いフロックコートを召して/こんなに本気でいろいろ手あてもしていたゞけば/これで死んでもまづは文句もありません/血がでてゐるにかゝはらず/こんなにのんきで苦しくないのは/魂魄なかばからだをはなれたのですかな/たゞどうも血のためにそれを云へないがひどいです/あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけし[き]でせうが/わたくしから見えるのは/やっぱりきれいな青ぞらと/すきとほった風ばかりです」(「眼にて云ふ」)

個人的な感慨で恐縮ですが、私はテレンス・マリックの戦争映画、「シン・レッド・ライン」を見ていて、不思議と賢治の作品を思い出しました。この映画はすさまじい戦闘シーンの最中に、何度も何度も木漏れ日や、身震いしそうな青い空や、昆虫たちや、草むらを風が吹きぬける様子が映ります。その対比が生死の対立を超え、奇妙に美しい調和を醸しだすのです。

最後にもう一篇、「疾中」詩篇から引用します。
「たけにぐさに/風が吹いてゐるといふことである/たけにぐさの群落にも/風が吹いてゐるといふことである」(「病床」)
これは、悟りなどという簡単な語彙で片づけたくはない、まぎれもなく賢治の見た風景の一端です。どうぞ、童話や「雨ニモマケズ」だけではない、賢治の見ていた風景をみなさんもご自分で紐解いてください。詩を読むということは、作者の見た風景を感受することでもあるのですから。

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