平岡は津島が嫌いだった?
筆名は,もとも,本性をかくすマントの役割を担わせているわけだから,昭和期に入って作家の社会的地位が向上してくるともはや筆名は不要と思われるが,昭和期作家も相変わらず筆名を用いている(もっとも,江藤淳は「官憲の統制に対する覆面」としている)。
筆名の由来を自ら語っているひとりに太宰治がいる。太宰の本名は津島修治であるが,名前は二文字とも<おさめる>なので一つにして「治」,姓の方は「万葉集」をめくって太宰権帥大伴の何とかという人から「太宰」としたと語っている。もっとも,友人の太宰友次郎から,という説もあれば,ドイツ語のダーザイン(Dasein=存在)をもじったものなどという説もある。由来はともかく,津軽出身の太宰が師の井伏鱒二に「津島は訛(まな)るが太宰は訛らないからいい」と言ったと伝えられるが,切実な想いであったに違いない。
その太宰に会いにいって「私はあなたが嫌いです」と言ったところ,太宰から「会いに来てるんだから好きなんだろ」と言い返されたというエピソードをもつ三島由紀夫は,本名・平岡公威(きみたけ)。荘重な名前ではあるが三島の作風にはそぐわない。三島由紀夫という筆名は,その推薦によって「花ざかりの森」でデビューする時に在学中の学習院高等科国文科の師・清水文雄が決定したものといわれる。父・梓(あずさ)が三島の執筆活動に反対していたためその隠蔽のために筆名を用いることにし,当時,伊豆で合宿があってその入り口の地である「三島」を姓に,名を「由紀雄」にしたところ,清水が「雄」では重すぎるとして「夫」としたという。もっとも,その父が電話帳と高名作家の名前の組合せで決めたという説もあって,いずれが真実かは決め難い。
そのいわれが諸説ある筆名としては司馬遼太郎(本名・福田定一)もそうである。「史記」の司馬遷に遼(はるか)に及ばない,といういわれが定説であるが,さて真相は如何に……

