[スポーツ体験談(バレーボール)] 幻のモスクワ・オリンピック

アドバイザー:水原 理枝子 /

 

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幻のモスクワ・オリンピック 前編

 現役を引退してすでに24年の歳月が流れましたが、今もバレー指導で全国を歩き回っています。引退してからもこれほどバレーボールにかかわるとは思ってもいませんでした。

 現役当時の私は、毎日、練習でしごかれ、もう逃げ出したいと思ったこともしばしばで、「引退したら絶対、バレーはしない」と決めていました。にもかかわらず、今は、なぜかバレー命です。

 私は、姉の影響でバレーを始め、昭和50年に名門ユニチカに入社しました。入社してまずびっくりしたのは、練習でした。その量の多さはもちろん、精神的にも肉体的にもぎりぎり、限界までしごかれました。特に私は、鳥取の田舎から出てきた、将来性のある選手でもなく、これといって才能があるわけでもありませんでしたから、基本から叩き込まれました。その日その日、監督やコーチに言われたことをするので精一杯で、バレーを楽しむ余裕などありませんでした。

 そんな私でも二十歳で全日本選手になれたのは、あの厳しい練習を続けたこと、あきらめなかったこと、そして、左利きということで私を使ってくださった監督、コーチ、いつも温かく見守ってくださった周りの皆さんのおかげです。楽しい練習、普通のバレーをしていたら、今の自分はなかったと断言できます。
 初めて全日本のユニフォームを着たときには、身が引き締まるくらい緊張しました。「JAPAN」のユニフォームが妙に重く、友人に「この五文字がずっしり重くのしかかっている」と言った覚えがあります。でも、今思うと、誰もができるわけではない貴重な体験は、今の自分にとって、大きな財産になっています。ユニチカでバレーをやっていた8年間に悔いはありませんし、この経験を誰かに伝えたい、また、当時応援してくださった多くの方々に恩返しの気持ちを込めて、これからもバレーボールにかかわっていこうと思っています。

 でも…、実は、一つだけ悔いの残る出来事があります。「モスクワ・オリンピック不参加!」です。世界のトップアスリートたちが目指す頂点は、「オリンピックで金メダルを取ること」です。そのために、私たちも厳しい練習を重ねてきました。オリンピックの出場権がありながら参加できなかった事実は、私の心の中にいつまでも残っています。参加して、力およばず負けたのであればあきらめもつくのに…と、あの当時の全種目の全選手が涙したことは今でも鮮明に覚えています。

 今でこそ、バレーボールの選手寿命は延びていますが、当時、自分の年齢や体力を考えたら、そろそろ引退かな…と思うこともしばしばで、さらに4年後のオリンピックなど考えられませんでした。

 オリンピックに出場できなかった次の年、日本でワールドカップが開催されました。皆さんの応援をいただいてバレーボールは大いに盛り上がり、日本チームは銀メダルを獲得することができました。それでも、現役を引退した後にも、モスクワ・オリンピック不参加という現実は、決して消えることのない思い出として残っていたのです。

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