[スポーツ体験談(バレーボール)] 幻のモスクワ・オリンピック

アドバイザー:水原 理枝子 /

 

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幻のモスクワ・オリンピック 後編

 私は、ユニチカでバレーボールをやっていた8年間に悔いはありませんし、現役を引退して24年、苦しいこと、悲しいこと、悔しいことがあったとき、「あの頃の練習に比べたらこれくらい」と、今まできたような気がします。半端ではないほど精神的、肉体的に鍛えられ、限界に挑戦してきた日々を思うにつけ、「よく8年間もやったな」と、つくづく思います。

 そんな中で、2003年の春、一本の電話が鳴りました。24時間テレビで「幻のオリンピック・22年目の対決」をやりたいという趣旨のものでした。モスクワ・オリンピックで優勝したソ連チームを招待して、当時の全日本メンバーと対決するという企画です。

「懐かしい」「みんなに会いたい」という軽い気持ちでその企画を承諾したものの、「この年で6人制?」「ネットの高さは?」など、いろいろ考えるうちに不安ばかりが膨らんできます。しかも、あの当時の全日本のメンバーは、現在は九州、四国と全国に散らばり、毎日一緒に練習するわけにもいかず、合計4日間の練習で本番に臨まざるをえませんでした。

 22年ぶりの練習では、メンバーの昔のままのプレーや癖、しぐさにはびっくり。練習するうちに20年超のブランクさえもどこへやら、徐々にコンビも合ってきました。ただ、ジャンプ力と体力だけは当時のようにはいかず、すぐに休憩です。

 でも、ボールを持つと、同窓会気分も飛んで、やるからには絶対、勝ちたい! その気持ちだけで短時間の練習はピリピリムード。後ろに小島先生がいるだけで緊張し、「行け〜」「違うやろ〜」と言われるたびにビクっとする自分がいて、そういえば最近、こういう緊張感やプレッシャーのない生活をしていたんだと、ふと気づかされました。

 わずかな時間の合同練習が終わり、これで本番までみんなと会えないとなると、自分のプレーにも不安が残ります。その不安を少しでも解消するために、息子の高校の練習に参加したり、指導しているママさんバレーのチームで練習したり、自宅で筋トレをしてみたり…。

 そして、いよいよ、対戦の当日。誰一人として万全の体調の人はいません。昔の古傷を抱え、さらに、無理な練習で体に負担がかかったのか、全員がテーピングのお世話になっていました。そんな体でコートに立ちましたが、「オリンピックに出られなかった悲しさ、悔しさをここで出そう」「ジャンプ力やコンビのスピードは落ちても、ボールは落とさない」「最後まであきらめない」と、コートもベンチもそんな気持ちで一つになり、結果、2-0で勝利することができました。

 久々の涙で抱き合ったとき、「終わった…」という感慨とともに、あの当時とは違う、楽しんでバレーをすることができたことを実感できました。そして何より、心のもやもやが少しだけ、とれたような気がしました。

 24時間テレビが終わった次の日からは、いつもと変わらぬ生活…。でも、電車に乗っていると、「テレビ、見ました」「感動しましたよ」など、すごい反響にびっくり。あの日、ソ連に勝ったことで、モスクワ・オリンピックの代表に選ばれながら、出場できなかった選手のそれぞれの思いに、ほんの少しだけれど、何かしらの区切りがついたのではないかと思ってみたりしています。(つづく)

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