永井荷風 『墨東綺譚』
年は二十四五にはなってゐるであらう。なか々々いゝ容貌(きりやう)である。鼻筋の通つた丸顔は白粉焼(おしろいやけ)がしてゐるが,結立(ゆひたて)の島田の生際(はえぎわ)もまだ抜上(ぬけあが)つてはゐない。黒目勝(くろめがち)の眼の中も曇つてゐず唇や歯ぐきの血色を見ても,其(その)健康はまださして破壊されても居ないやうに思はれた。(原文は総ルビ)
永井荷風がこう描いて見せたのは,昭和12年の4月から6月にかけて「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」に35回にわたって連載された,名作の誉れ高い『墨東綺譚』のヒロイン・お雪(雪子)の容貌である。雪子は荷風が愛した(?)私娼街・玉ノ井の私娼という設定で,作中では主人公である作家の大江匡が小説の取材で玉ノ井を訪れた際,たまたま俄雨に遭い,彼が差した傘に「檀那,そこまで入れてつてよ」と飛び込んで来るという偶然で知り合ったことになっている。だが,荷風がお雪のモデルとなった「女」と知り合ったのは,こうした偶然からではなかった。
荷風には42年間に及ぶ日記「断腸亭日乗」(以下,「日乗」)があるが,それによると,荷風が初めて玉ノ井を訪れたのは昭和7年の1月のことのようである。それ以来,特に昭和11年3月頃より,荷風は足繁く玉ノ井に通うになっている。やがて,昭和11年9月7日には「日乗」に「今年三四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて,折々来りみる中にふと一軒憩むに便宜なる家を見出し得たり」と書き付けるようになる。そして,同日の「日乗」にはその「家」の「女」について,「女はもと洲崎の某楼の娼妓なりし由。年は二十四五。上州辺の訛あれども丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌(きりやう),こんな処でかせがずともと思はるゝ程なり」と書いているが,この描写は冒頭に掲げたお雪の「容貌」とよく似ており,「日乗」と『墨東綺譚』のその他の部分とを読み合わせても,荷風は「女」をモデルにお雪を造型したことは間違いないようである。荷風がこうして「憩むに便宜なる家」とその「女」について書いたその2週間ほど後の20日には,喜ばしげに「この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり」と書いている。その「小説」が『墨東綺譚』であることはいうまでもない。
では,荷風とこの「女」との関係がどうであったのかということになると,その具体的な様相はほとんどわからない。もちろん,実際には荷風と「女」とは客と娼妓という関係であり,「日乗」には玉ノ井訪問の記事のある日付の欄外に,性行為のあったことを示す「・」が付けられていることが多いことからも当然に情交はあったはずであるが,たしかなことは判らないとしか言いようがない。実は『墨東綺譚』という作品の中でも,お雪と大江匡との情交が直接的に描かれることはなく,すべてが朧化されるのである。たとえば,先に掲げた俄雨の出会いの後,大江はお雪の家に案内されるがその場面は次のようである。
「ぢや,一時間ときめやう。」/「すみませんね。ほんとうに。」/「その代り。」と差し出した手を取つて引き寄せ,耳元に囁くと,/「知らないわよ。」と女は目を見張つて睨返し,「馬鹿。」と言ひさまわたくしの肩を撲つた。
娼妓であるお雪がここまでの媚態を曝すほどの内容をもった言葉を大江は口にしたのであるが,その具体的な内容は明らかにされることはない。
こうした描き方は,昭和12年という時代のなせる技ということも可能であろう。しかし,大江がお雪との別離を思うようになった頃,「お雪は……ミユーズである」と書いて,お雪は大江が「失踪」という小説を完成させた「不可思議な後援者」であったとしていることに,その理由のすべてが込められているのではあるまいか。それは,実際の荷風と玉ノ井の「女」との関係と,その関係を日記の中でさえ直接的に筆にしなった荷風の思いとに重なっていくのである。
注)「墨東綺譚」の「墨」は、本来は「さんずいに墨」ですが、表記の都合上「墨」とさせていただきます。

